体験記録

好きな事もイヤな事も書いてく。見たまま感じるままに。

セレブ妻のゴージャス生活を顧みる

こないだテレビでセレブ妻の私生活を放映してた。

当然、自宅は大豪邸だし海外暮らし。

リビングの広さは40畳以上あるしソファーは300万円でテーブルは150万円だそうな。

俺ん家の家具なら同じの100個買える。


そのセレブ妻ん家では家族で旅行に行けば1泊100万円のお部屋に泊まるんだそうな。

俺ん家の旅行なら100泊できる。

俺には縁の無い世界のことなのに何故か興味が湧いてくる。他の部屋はどうなってるんだろ?お風呂は?

テレビが違う映像を映すたびに我が家では歓声が上がる。そのときの家族の顔は何故か皆んな笑顔。たぶんその豪邸生活と自分達の生活状況にギャップがあり過ぎて笑うしかないのだろう。

その圧倒的ゴージャス感と非現実な世界への憧れが無意識的に夢の世界に浸らせているのかもしれない。現にその番組を見終わってからは羨ましさも妬みも感じない。それどころかまるでテーマパークにでも行ってきた後のような充足感に近い感覚に満たされていた。

摩訶不思議な現象だ。

全く縁のない世界を見ただけで晴れやかな気分になっている。

セレブ妻とはなんという生活をしているのだろうか!


それにしてもお金があるところにはあるもんだ。あり余ってるのかなー?。

そういう人達ってもはや金銭感覚は狂ってて高級品よりも高額品にこそ価値があると思っているのではないかと思う。つまり本当の物の価値ではなく、500万円とゆう数字自体に価値を感じる。50万円で仕入れた品物が100万円で売ってたら買わないのだ。そうゆう理性を喪失したセレブ妻もいれば、理性を保つセレブ妻がいる。こないだテレビで見たセレブ妻は後者っぽかったな。


改めて今、我を振り返ると自分はどうか?

一方では、そんな贅沢三昧な生活をおくっている人達がいる。

俺には、俺の家族にも一生涯縁のない生活なのではないか?

稼ぎ頭の俺は朝から晩まで仕事をするが人並みの生活水準を維持するのが精一杯でたまに美味しものを食べに行くのがささやかな贅沢。今までがそうだったようにこれからもこれ以上のことは予測も出来ない。

こんな生活になってしまったのも元々は今まで俺自身が歩んできた道の先にあるものだから文句は言えない。でもその俺に着いて来てくれるひとも同じ生活を強いられるのは理不尽なことではないか?

俺と同じように働きに出ている嫁に、俺を信じて託した将来に「幸せだった」と言ってもらえるような人生を贈ってやりたい。


現代の「世の中」という図式は人間社会という牢獄になっていて多くの人がその牢獄の中で一生を終える。例外として一部の成功者だけがそこから解放される。本来、自由であるはずの個人なのに「カゴの中の鳥」のごとく束縛されている。

人はもっと自由に、楽しく、気楽に大空を飛びまわって良いはずなのに。

前々から思っていたがやはり日本人は働き過ぎだ。仕事よりも家族との時間を大切にする欧米人を見習うべきだ。彼らは残業などしない。モノマネを得意としてきた日本人が何故そこは真似ないのか?。

日々の就労時間を1時間減らせばいい話だと思うんだが。その結果、生じる経済的な損失分は給与を減らして穴埋めすればよいではないか。当然、企業の生産性や流通量など様々に影響が出るが、その状態が常態化されてしまえばそれはあたりまえのことと認識されていくのではないか?そうなれば仕事終わりは16時となるので会社と家庭の時間を両立出来るようになる。日本全国にある企業で足並みを揃えて実現してほしいものだ。この方策こそ今の日本とその国民の生活を豊かにすることが出来るはじめの一歩だと俺は思う。


お金持ちだから幸せとも限らないしセレブ妻だって絶対幸せとも限らない。

幸せを測る尺度は人それぞれに違うが、共通して言えることは自分が幸せと思える「時」がどんな時なのかを知っていればそれは作ることが可能なのだ。