製造業のサラリーマンに欠落した意識
正確には大企業の製造業に勤めているサラリーマン達のことだ。
俺はそのサラリーマンなのだが、最近つくづく思うことがある。
それは年々増していく思いだ。
今、俺が勤めている会社は教育による人材育成に力を入れている。だからやたらと研修も多い。何人もの教育受講者を集めては1日中教育してる。実は今日もその研修に行ってきた。
その研修の受講者数は約30人だから掛かった費用を計算すると、2000円x8時間x30人で48万円。それプラス外部講師に支払う講師代金。これはいくらなのか不明だが30万円とすれば、合計で78万円。その研修が2日間だから計約150万円を会社は従業員のために使ったことになる。そんな研修をしょっちゅうやっている。
会社側は、それは必要経費だと考えている。会社が永続して存続し続けるためには必要な出費だと信じて投資しているのだ。
果たして投資を受けた当事者達はその信頼に答えてくれるのか?それが一番の問題だ。
効率的に、且つ効果的に業務が行える知識を教えはしたがそれは活かされなければ元の黙阿弥だ。
会社にしてみればそれを最大限の効果で活かしたいはずなのだが受講者達の反応は渋い。
それもそのはずだ。
一番肝心なところを教えていないからだ。
いくら知識を身につけさせたところで当事者達にその気が無ければ狙った効果は得られない。
感覚的には感じるが確かに人は変わってきたと実感出来る。それはこの教育の賜物であると思うが、まだまだ意思の疎通が出来ていない。会社側の目指している思いと従業員達の意識に乖離がある。その溝は埋まりつつあるのかもしれないがスピードが足りない。ゆっくりと上向いているに留まっている。これでは遅れをとるばかりだ。競合他社はもっと先を進んでいてもう追いつけない位に見えなくなっているかもしれない。
仕事の知識ややり方を教え込むのも必要だがそれよりも大事で効果的な「働くことへの意欲」を鼓舞出来ていないことはこの教育活動における最大の落ち度だ!
それは思想的で哲学的な考え方を教えることになるのかもしれないがとても大事なことだ。
どこの会社にも、役に立たないとレッテルを貼られた人がいると思う。
俺の周りにもいる。その人は俺より年上で同期入社だ。
学歴も俺より上。
でも今の職位は俺より低い。
どうしてこうなってしまったのか?それは簡単なことだ。
俺の職場では寛容にもその役に立たない人を仕事に就かせている。零細企業であればとっくにクビになっていただろうけど幸いにも大企業であるこの会社にクビという二文字は無い。
この言葉の前には「今のところは」を付け加えるべきだろう。
月給制の給与体系は、サラリーマン達から勤労意欲と働く事の意義を失わせてしまった。
そのおごれたサラリーマン達はぬるま湯に浸りきり努力も怠り会社に貢献するどころか逆に重荷となって恩を仇で返している。
大手の電化製品メーカーでさえ工場閉鎖に追い込まれ、リストラによるクビきりが行われてきたこの現代に俺の勤める会社が例外であるはずはない。
その時に不本意に名前が上がらないようにするために、その時が来ないようにする為に、そのサラリーマン達は考え方を改め行動に移さなければ火の粉はその身に降りかかるだろう。
そういう危機感も欠落している。そんな人達にいくら教育したところで期待できないのではないかと俺は思う。
戦後の復興に尽力した人達と軟弱なサラリーマンどもでは労働力としても労働者としても人の質に差があり過ぎだ。そこに早く手を打たなければ手遅れになる。
もはや自分の身は自分で守るしかない世の中が到来しつつあるのかもしれない。