体験記録

好きな事もイヤな事も書いてく。見たまま感じるままに。

崩壊してゆく俺の部署

もうバラバラです。

総力の結集?連携?一体感?一本の太い矢?虚しい響きだ。


業務を細分化し過ぎて各組織の役割と繋がりは複雑さを極めている。

発行される書類は各関係部署へとタライまわ

されるし、探している書類はどこの部署の管理物で担当者は誰なのか?

ルール(提案事項)を一つ作る為には関係するすべての部署や担当者の合意が求められる。ではその関係者とはどこの誰なのか?その伝達方法は?先ずはそこを調べることから始まる。

関係者が同じ事業所内にいればまだ話は早いが、異なる事業所の人であった場合には依頼書とかいう紙切れの発行が求められる。

当然、依頼書には審査、承認の捺印欄がある。承認後、やっと手元に戻って来たその依頼書を依頼先に送ると回答が記入されて同じく承認済みで戻ってくる。そうやっている間に時間は過ぎてゆき、期を逸する。

必要なことが必要な時に決められない。決まらないから実行出来ない。業務の効率化どころか複雑化になっている。一体何のメリットがあるというのか?

会社や組織は小さくて少ないほどに小まわりが効く。即決即断だ。

一応俺の勤める会社にも自覚があり毎年、改編は行っている。らしい。

スリム化?

あまり実感出来ないが・・。


最近、大きな問題が起きた。

それで部長の指示が俺の所まで降りてきた。

トップの人の指示というのはいつでも抽象的で具体的なやり方などは示されない。

指示を受けた者はその意図を理解して自分の部下へと指示を出す。その指示は実担者に伝わる頃には具体化されてあるはずなのに。

実行役である俺への指示は、経由してきた人達の間で変わっていたり削られて来た。部長の意図が上手く伝達されてこない。


脳が発した指令は血流を通して各臓器に行き渡る。

どこかで動脈が硬化しているのか?それとも臓器に異常があるか?

健全な脳は人体の司令塔として思考し手足を動かすことが出来る。身体に生じた異変には敏感に、処置を施すことで修復させる。

今、その人体の一部が機能不全になっているかもしれない。

処理能力にそぐわない地位にいる人たちと指示自体に意を唱えて反抗的な部下。

指揮系統が乱れ部長の指示事項は一向に実行されていない。

もはや時間が経ちすぎだ!

こんな時こそ結束して一気呵成に行動すべきなのに役割分担すらできずに滞っている。

アホらしい。

責任は、上位職ほどに重くなる。

部長にもその上司が当然いる。

適当では済まされない事態さえも適当に済まされている。

皆、自分ごとと思っていないために関心が薄い。ありえね〜ことだ。

会社の一大事が自分ごとでは無いと考える思考回路には重大な欠陥が生じている。

自分に知恵がないことを脇に置いておき、上司の指示に反論ばかりして流れを塞き止める役立たずの部下をいつまで野放しにするのか。俺が上司ならそんな口ばかり動かす不要な輩はクビだ。


司令塔がそんな状態にいつまでも目を伏せてしまえば結局は自分の身を滅ぼすことになる。

何十本もある矢はしっかりと束ばねられてない。その太い矢の芯にも脳梗塞化が進行しているのか?


俺のいる部署と関係の深い部署との間では何かあると直ぐに責任の所在や、相反する意見や価値観の言い合いをしていて先に進まない。

このくだらぬ状況を解消するために名案がある。


それは、俺のいる部署を解体すること。


業務と人はごっそりと他の部署に統合させる。これによって無駄な争いの種は排除する事が可能だ。

垣根が払われた事で今までの争いの種は自分ごととして考えることになるだろう。

解体部署の人達はこの時、初めて危機感を感じる事ができる。必死に抵抗するかもしれない。そんな事などは無視して来季から解散すると明言するのだ。そうすると、どうしても移管すべきではない業務が現出するので、その場合にはその業務と関わる人だけを残せば良い。

これで手術は成功だ。

その後は、容態を監視していけばいい。


分散した戦力による各個撃破の砲撃よりも集中して放つ波動砲の方が効果は大きいに決まっている。

柔軟さと臨機応変な対応こそこの時代に生き残る術なのではないだろうか